詩人、作家、そして哲学者の足跡を辿って・・・

ヨハネス・グーテンベルクがマインツで印刷機を発明したのは1450年のことです。グーテンベルク博物館に展示されている貴重な文化財には、その時代の印刷の作業場、原稿やグラフィックの作成などの復元が含まれています。ドイツ文学の最盛期はルネッサンスの時代ですが、世界文学の仲間入りを果たした作家の多くはその後の時代に現れ、ドイツの作家は8つのノーベル文学賞を受賞しています。

大学都市ハイデルベルクは、ゲーテ、アイヘンドルフ、ヘルダーリン、ブレンターノ、ケラー、マーク・トウェインなどをはじめとする多くの偉大な文学者、作家、詩人たちが心を惹かれた町です。そのハイデルベルクでは、詩人や思想家が生活、活動を行なっていた場所を辿る特別なツアーをご用意しています。また特別に、ゲーテに捧ぐツアーとして「ファウスト」の足跡を辿る文学ツアーもあります。
エアフルトにも、遠い旅を続けたゲーテの作品の足跡が残っています。ここでのプログラム名は「テューリンゲンのローマのゲーテの足跡」です。フランクフルトの裕福な家に生まれたゲーテは、1814年に6800人の温泉客のひとりとしてヴィースバーデンのスパを訪れて以来、様々な形で執筆活動の新しい発想を得たようです。当時、ヴィースバーデンの人口はわずか4200人でした。ゲーテの彫像はヴィースバーデン博物館の前にあります。
ヴィースバーデンの最も大きな魅力はスパでしたが、別の側面からヴィースバーデンの名を広めた有名人にドストエフスキーがいます。急性のギャンブル病に罹っていたロシアの文豪は1865年、ヴィースバーデンのカジノで旅費全てを失ってしまいます。カジノでのルーレット体験にもとづいて書かれた小説が「賭博者」です。
http://www.historicgermany.travel/assetimage_1710_250w189.jpgエリッヒ・マリア・レマルクは、20世紀に最も有名且つ広く読まれたドイツ文学界の作家のひとりです。オズナブリュックに生まれたレマルクは、1929年に初版が出された小説「西部戦線異状なし」によって世界中で一躍有名になり、今日に至るまで高く認められています。
20世紀の文学界に刻印を残したもうひとりの作家はベルトルト・ブレヒトです。アウクスブルクは、ブレヒトの生家を「ベルトルト・ブレヒト・ハウス」記念館として敬意を表しています。ブレヒトに因んだツアーは、「アウクスブルクのベルトルト・ブレヒトの道」です。

詩人の生活を体験する

エーリッヒ・マリア・レマルク平和センター

市庁舎のすぐ近くに、同名の図書館とともにある。世界的な作家レマルク(エーリッヒ・マリア)に関する資料が展示されていて興味深い。作家はこの町に生まれ、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての戦争の時代を背景に、戦争の非人間性と運命にもてあそばれる人々の悲劇を反戦色強く描いていった。そのためナチスの時代には、パナマ政府のパスポートを使ってアメリカに亡命せざるを得なかった。数多くの著作が各国語に翻訳されているが、特に名作「西部戦線異常なし」「凱旋門」「愛するときと死するとき」の長編三部作は、今も広く読み継がれている。映画化もされた。

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